凡人として生きるということ - 読了

凡人として生きるということは言わずと知れた押井守氏の新書です。

次のような目次になっています。

第1章 オヤジ論―オヤジになることは愉しい
第2章 自由論―不自由は愉しい
第3章 勝敗論―「勝負」は諦めたときに負けが決まる
第4章 セックスと文明論―性欲が強い人は子育てがうまい
第5章 コミュニケーション論―引きこもってもいいじゃないか
第6章 オタク論―アキハバラが経済を動かす
第7章 格差論―いい加減に生きよう

〜論とあるように、各々の話題について押井守さんの哲学で論じています。
明確で系統立てて書かれており、とてもわかりやすかったです。そして、共感できる部分も多い。


流布するデマに騙されることなく、本質を見抜いて生きろ。
コミュニケーションは大切だ。
言葉を大切にしろ。


――こう書くとよく耳にする文言でしかない。
ですが、こういった“あたりまえ”と感じられる文言に自分なりの説明を加えられるか。
そして、そうやって語ったものが哲学なのだと思います。


目次を見て興味を引かれるなら、やっぱり読むべきだと思います。
「なんでオヤジになることが愉しいことなんだ?若い方がいいだろJK」
「人間は自由で平等であるべきだ」
「性欲と子育ての相関なんてあるの?」
「引きこもっててコミュニケーションって何それ?」
という方に。


どの章も読んでいて面白いのですが、個人的に特に自由論の着眼点がすごいなーと関心しました。


外側にどれだけ華美な装飾を施しても、大事なのは内側、本質に気付くこと。
社会の歯車であることは不自由なことかもしれないが、そうやって社会に関わっていることが愉しい。
何もないところで一人でくるくる回る歯車は自由かもしれないけれど、それって価値あるの、愉しいことなの?
このような歯車で考えると、天才は大きな歯車、凡人は普通サイズの歯車にも例えられます。
社会は大きな歯車が数%、残りは普通の大きさの歯車で構成されるのがうまくまわる。
大きな歯車だけでは社会は成り立たない、と。

――とは自分なりに言い換えてみたものですが、こういうことなのでしょうね、きっと。


凡人として生きるということ (幻冬舎新書 (お-5-1))
押井 守
幻冬舎
売り上げランキング: 135
おすすめ度の平均: 4.5
5 現代へのメッセージ
5 「今の自分は何者でもないし、平凡な人間なのだ」
4 建前ではないが真っ当な意見